《慰安婦募集の「実行犯」 “強圧と甘言”駆使したのは誰か》
日本の朝鮮統治時代、警官、知事、村長、職員、慰安婦募集の業者の多くが朝鮮人でした。朝鮮人が朝鮮人を「強制連行」したんですか?
以下、記事抜粋。
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国民不在のまま、韓国に迎合してつくられた平成5年の河野談話の大きな問題点は、慰安婦募集のあり方について証拠資料も裏付けもないのに「官憲等が直接加担したこともあった」と認めたことにある。
この一文が拡大解釈されて、日本政府が公式に強制連行を認めたと世界に伝えられ、日本は「性奴隷の国」という言われなき汚名を着せられることになった。
それでは、ここで言う「官憲」とは何なのか。内閣外政審議室が河野談話発表時にまとめた記者会見の「想定問答」には、次のように書いてある。
「『官憲等』とは、軍人、巡査、面(当時の村)の職員などを指す。これらの者が慰安婦の募集の際に立ち会うなどして、強圧的な行為に加担するケースがあった」
実際、河野談話の根拠となった韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査では、巡査と面職員の関与に言及している女性がそれぞれ4人ずついた。
そこで当然気になるのが、軍人はともかく当時の巡査、面職員らがどういう人たちだったかである。現代史家の秦郁彦氏によると、戦前・戦中の日本統治下の朝鮮半島の実情はこうだった。
「地方の巡査クラスはほとんど朝鮮人と言っていい。面の職員も当然そうだ」
だとすると、「強圧的な行為」に加担したのは朝鮮人自身でもあることになる。
また、河野談話は慰安婦募集に際し「甘言」が用いられたとも指摘している。当時、朝鮮語で「甘言」を巧みに操ることができる日本人は非常に少なかったことを思うと、これも隠された主語は主に朝鮮人の女衒(ぜげん)や業者ということになろう。
東京都在住の産経新聞の読者、横山博さんが筆者に送ってくれた昭和6年7月の朝鮮総督府の名簿(コピー)によると、当時の面長(村長)は全員が朝鮮人だ。
知事をみても、忠清北道・洪承均▽忠清南道・劉鎮淳▽全羅北道・金瑞圭▽黄海道・韓圭復▽江原道・李範益-とやはりみんな朝鮮人である。
京畿道、全羅北道、慶尚北道、慶尚南道、咸鏡南道の巡査教習所の所長も、それぞれ朝鮮人が務めていた。警察署の署長は日本人が多いが、ナンバー2にはおおむね朝鮮人が配されてもいる。
これが実態だ。現場の官憲はほとんど朝鮮人であり、幹部クラスも別に日本人が独占していたわけでも何でもない。