《ロシア:エストニアとの国境画定へ 歴史問題棚上げ》
EUにロシアとの国境画定を求められた小国エストニアは、1920年独立時の領土を放棄させられましたが、我が国は北方領土について、この様な譲歩をする必要はありません。今は収穫を焦る時期ではなく、種蒔きをしなければならない時期です。
以下、記事。
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ロシアとバルト3国のエストニアは18日、1991年のソ連崩壊後の懸案だった国境画定条約に署名する。約2300平方キロの係争地はロシア側の主張が通る形で合意した。ロシアのプーチン政権は周辺国との国境画定を進めており、残る課題は日本との北方領土となる。
条約はラブロフ露外相とパエト・エストニア外相がモスクワで署名する。両国は2005年に同様の国境線での画定条約に署名したが、歴史問題をめぐる対立から白紙に戻っていた。今回は両国での批准を経て年内にも発効する見通し。
両国の国境問題で、エストニアは1920年に独立が承認されたタルトゥ条約で定めた国境を要求。一方のロシアは40年にエストニアがソ連に併合されてから西側に移された境界線を主張し、未画定となっていた。係争地には現在、ロシア人を中心に約3万人が住んでいる。
エストニアでは、ロシアの実効支配を覆すのは非現実的との見方や、欧州連合(EU)がエストニア(04年にEU加盟)にロシアとの国境画定を求めたこともあり、ロシアに折れる形で05年に国境条約に署名した。しかし、エストニア議会が条約批准の国内法でタルトゥ条約の有効性に言及。ロシア側が「エストニアは領土要求を放棄していない」と反発し、批准されなかった。
背景には、ソ連編入は「一方的な併合」とするエストニアと、エストニアの「自発的」なソ連入りで同条約は無効になったとみなすロシアの歴史認識の違いがある。
両国は12年秋に条約交渉を再開。前回の教訓を踏まえ、相互に領土要求を放棄するという文言を入れ、歴史問題には触れないことで合意に達した。
両国関係は07年、エストニアの首都タリンにあった旧ソ連兵士像の撤去にロシアが反発し、その直後にエストニアでロシアからとみられる大規模なサイバー攻撃が起きて悪化した。国境画定で関係安定化や経済交流の拡大が期待されている。
ロシアは近年、中国との東部国境やノルウェーとの海洋境界について係争領域をほぼ半々に分け合う形で画定させたが、エストニアとは領土面で譲歩することなく決着させた形だ。同じバルト3国のリトアニア、ラトビアとの国境は画定が終わっている。
http://mainichi.jp/select/news/20140216k0000e030101000c.html