2013/11/03 17:45

《足尾鉱毒事件の直訴状全文》

明治34(1901)年12月、田中正造は、足尾銅山の鉱毒問題を明治天皇に直訴しました。直訴に関する当時の最高刑は「死刑」であり、真に命を賭けての行動でした。

明治23年の第1回総選挙で衆議院議員に当選した田中正造は、明治24(1891)年、第2回帝国議会に初めて「足尾銅山鉱毒加害の儀に付質問書」を出し、当時、農作物や魚に大きな被害を与えていた足尾銅山の鉱毒問題を10年間繰り返し国会で訴え続けましたが、国の政策に改善が見られず、ついに明治34(1901)年12月10日、衆議院議員を辞職した上で、我が身と引き換えにと死を覚悟して、天皇に直訴しました。

[草莽ノ微臣 田中正造 誠恐誠惶頓首頓首 謹テ奏ス 伏テ惟ルニ臣田間ノ匹夫敢テ規ヲ踰エ法ヲ犯シテ鳳駕ニ近前スル 其罪実ニ万死ニ当レリ 而モ甘シテ之ヲ為ス所以ノモノハ洵ニ国家生民の為ニ図リテ 一片ノ耿耿竟ニ忍フ能ハサルモノ有レバナリ 伏テ望ムラクハ陛下深仁深慈 臣ガ至愚ヲ憐レミテ少シク乙夜ノ覧ヲ垂レ給ハンコトヲ。]

去る10月31日の園遊会において、山本太郎参院議員が天皇陛下に対し手紙を手渡し、問題となっています。「天皇の政治利用」であることへの認識の欠如、直訴の方法の軽薄さと欠礼、一部公開された訴状の内容の稚拙さと誠意のない筆跡…、国会議員としての資質も真剣さも感じられません。