朝鮮の日本統治期の貴重な写真

FBFのShin Nakayama氏より、私のFBのコメント欄に貴重な資料をご提供頂きました。朝鮮の日本統治期の真実について、当時の写真を著作権フリーで活用頂けるとの事です。皆様にご活用頂きたいと思います。以下、同氏のコメント。

吉田さん、場所をお借りします。
吉田さんのお友達の方みな様にもお願いがあります。
この画像は、杉田水脈議員にも送ってあるものです。
祖父から聞き及んだ話しも含めて、私の代で喪失してしまう事に胸を痛めております、次代に語り継いでゆく事も自分の一つの役目だと思っております。
この写真の著作権所有者は、未来の日本人と友好的半島人にあると思っております。
著作権フリーとして、この画像をみなさんに広めて頂きたく存じ上げます。
皆さま、どうかよろしくお願いします。

私の祖父が朝鮮 平壌で、紡績工場の今でいう技術者兼の部長クラスで創業から携わった会社の起業初年度の記念写真です。
祖父の話しでは、服装はそれぞれが自由で、朝鮮人男性はスーツを好んで着用していたそうです。
一人 とても高級そうな韓国服を着ている男性は、朝鮮人労働者を指導する部長待遇の作業指導者だそうです。
女性たちは、今では奪われた文化と言われているチマチョゴリをみなさんが着ています。
中には、中国系の人もいて、服装が違った人もいたそうです。
この中で、祖父が一番みすぼらしい格好ですね。
半島文化など、奪っていない事が明確に分かります。
日本語を学びたいとの事で、祖父はハーモニカを吹きながら、みなで日本語の歌を歌って勉強したと言ってました。
創業三年の写真もありますが、人も増え、虐待など無かった事を証明するように、誰一人として顔などに傷も無ければ、痩せてガリガリな人もいません。
製品の生糸に、ノミやシラミ、抜け毛が混入しないように、毎朝 櫛で髪の毛を解いて、髪に椿油を塗っていたそうです。
お金になるからと、おもしろがって残業をしたそうですが、糸に汗が付着すると黄色く変色するので、仕事をやめさせては入浴をさせたそうです。

人を大切にしていたそうです。
紡績工場なので、冬の最中には、労働者の家族で病気の人を招いて、お湯を利用したお風呂で湯治をさせて休ませたりしたそうです。

そんな事もあり、
敗戦直後のロシア侵攻時に脱出する時には、
この男性従業員達と、女工さん達の父親と男兄弟が総出で見つからないように箱に詰めて、三十八度線を越えさせてくれ、
釜山港まで行けるように、乗り合いのトラックまで手配して下さったそうです。

この時に、ソウルまで来て買い出しをしていて、平壌へ戻れなくなった人と、その後もハガキのやり取りをしていました。

保守系の方でも、
暴力などがあったと言う人がいますが、
肉体労働の荒くれ者が集まる世界ならケンカはあったと思いますが、
こうしてこの写真を見れば、無用な暴力など無かった事は分かる筈です。

最前列に座る女工さん達は、
土の上に直接 座ることなく、全員が座布団に座っていますが、
よく見ると、その下に藁筵のかますを敷いているのが見てとれます。
新入社員の若い女工さん達ですが、決してぞんざいな扱いなどしていない事が分かります。

これが日韓併合時に、本当の日本人と半島人が手を取り合って行った、いにしえからの文化と新しい近代文化の融合、それが真実だったという事の証拠です。

 

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