強制連行も収奪も無く発展した日本統治下の朝鮮北部を実証的に解説した木村光彦 青山学院大教授の『北朝鮮経済史 1910-60』、安部桂司氏の『北朝鮮の軍事工業化』。
これに対し、社会主義に傾倒し反日イデオロギーと情緒的日本断罪論による捏造に終始した朝鮮史研究会の『朝鮮の歴史』、『入門 朝鮮の歴史』。
今でも多くの頑陋な「主義者」達が、この様な捏造を頑なに信じ主張し、日本を貶めています。
特に高齢者に多いこの様な誤解が無くなるよう、国民全体で努力していきましょう。
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《【「北朝鮮経済史」を読む】創氏改名は「朝鮮が希望、日本は反対」 「左翼」が作った北朝鮮史は欺瞞に満ちていた…》
2017.01.06 産経新聞
平成28年11月、知泉書館(東京都文京区)という学術専門出版社から『北朝鮮経済史 1910-60』が出版された。約150ページの書籍。日韓併合から敗戦による南北分断、朝鮮戦争(50~53年)、「千里馬(チョンリマ)運動」などにより社会主義国家・北朝鮮が大躍進を遂げたとされる時代の経済史だ。日本統治時代のデータと旧ソ連にあった北朝鮮の公式データなどを付き合わせることで、日本における北朝鮮をめぐる近現代研究が、いかに欺瞞に満ちていたかを指摘している。(文化部 村島有紀)
初版わずか800部。著者の木村光彦・青山学院大教授は、ソ連の崩壊後、ロシア公文書館で公開された1946~65年の北朝鮮に関する資料を翻訳し、6年前に『旧ソ連の北朝鮮経済資料集』を出版した経済学者だ。編集担当の小山光夫さんは「北朝鮮の情報を資料に基づいた研究をしている人は日本では木村さんだけ。その木村さんが間違いがないとする範囲で初めて出版した通史」と出版意義を強調。裏表紙には《半世紀にわたる北朝鮮の経済史を膨大なデータを活用して考察し、はじめてその実相を明らかにした画期的な概説書》と喧伝する。
本書の主なデータは、戦前は、朝鮮総督府の統計年報、戦後は北朝鮮や旧ソ連の経済資料などに依拠している。木村教授はもともと、アジアの開発経済が出発点。マクロとミクロ双方の視点から、データを基にコツコツと北朝鮮経済を研究するが、「本に書いたことがすべて」という。
そこで、代わりに木村教授との共著『北朝鮮の軍事工業化』がある、元通産省技官で、日本統治時代の北朝鮮の産業遺産に詳しい安部桂司さん(77)=ペンネーム、安部南牛=に、『北朝鮮経済史-』とその時代背景について、解説してもらった。
まず、1910~45年の日本統治時代と、1945~60年の北朝鮮経済を切り取り、分析する意義については、「北朝鮮の労働新聞(朝鮮労働党機関紙)には、日本統治時代の経済がいかにひどかったか、糾弾されている。そうではなく、実態はこうだったと伝えることが大事だから」と話す。
木村教授は本書で、日本統治時代の朝鮮半島の北半分(咸鏡道=北鮮▽平安道、黄海道=西鮮)を「北部」に分類。1910年以前の自然や産業などの初期条件を述べた後、農業、鉱工業、初等教育、防疫についてそれぞれ半世紀の変化を分析する。
例えば、農業の分野では「日本が朝鮮半島の物資を収奪したために住民が飢え、流民になった」などとされる。しかし、統計では、1920~30年代には米の作付面積が大きく増え、1人当たり生産量で南部を上回る地域もあった。一方で、雑穀などの生産量も減っていない。木村教授は本書で《全食糧作物の1人当り生産量は、1920年代から朝鮮北部が南部を上回った》と述べ、住民の消費量を1938年に限って輸出入を調整して推計すると、0・28トン(穀物のみ)。《この量なら飢餓は起こらない》と結論づける。
朝鮮北部の米作発展を促進したのは、日本の東北地方から導入された寒冷地向けの品種だ。
安部さんは「もともと北部で米は常食されていなかった。日本の水利事業が成功したことで米を生産できる土地が増え、平壌は日本一の日本酒の産地になった。日本酒を造った理由は満州への需要が大きかったのと、米の消費先として最も収益がいいから。物資を奪ったわけではなく、農民には当然代金が支払われた」と説明する。
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日本統治時代のできごとは、徴用(賃金を払っての動員)が強制連行(奴隷労働)になり、資本主義に基づいた貿易が、「収奪」と言い換えられている。なぜ、このようなことが起きてきたのだろうか。
「資本主義は悪で、社会主義が善という考えで歴史をみてきたからだ」と安部さん。また、第2次大戦の敗戦後、朝鮮研究を熱心に担ったのは朝鮮半島出身の在日の学者や、贖罪意識を持つ日本人研究者らの“左翼”で、帝国や総督府が発表した公式資料を「官の歴史として信用せず、一般人からの聞き書き、証言に資料価値を置いた」(安部さん)という。その結果、在日朝鮮・韓国人の間で語られた流言を含め、「飢餓輸出」や「強制連行」、「創氏改名の強制」「従軍慰安婦」などが“史実”として一人歩きを始めた可能性がある。
「戦前、朝鮮半島から日本に来るとき多くの人が日本名を名乗った。そのほうが便利だからだ。戦後、米国に移民した多く朝鮮人が米国風に名前を変えたのと同じだ。ところが、日本名を名乗るのは恥辱になり『強制された』となった。『創氏改名』は朝鮮側からの希望であり、実際は治安上や従業員管理の問題により日本側からは反対が多かった」と安部さんは憤る。
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一方、『北朝鮮経済史 1910-60』には、木村教授自身が長年、会費を払い続けた学会「朝鮮史研究会」(1959年発足、総連系)への“告発文”と読める文章が18ページに渡り「補章」として掲載されている。同会が極めて、北朝鮮寄りの政治性とマルクス・レーニン主義の歴史観を有し、実証的な歴史書編纂をしてこなかった過去と現在についての“告発”だ。
例えば、同研究会が昭和49(1974)年に出版した『朝鮮の歴史』(三省堂)だ。同書は、古代から現代までを記した朝鮮半島通史でありながら、《反日イデオロギーと情緒的日本断罪論》に終始。日本統治下で朝鮮人の生活状態が悪化した証左とするデータに誤った数字を用いた上、日本=絶対悪として批判する。
一方、同研究会の活動は、教育現場にも大きな影響を与えてきた。同じく朝鮮史研究会が編集した歴史書には、昭和61(1986)年に発行した『入門 朝鮮の歴史』がある。教職員向けのガイド本だが、1960年代初頭には、北朝鮮では農業生産力も順調な軌道にのり、北朝鮮内の自給が実現、米も安価に供給されているとある。
木村教授の分析は違う。北朝鮮の戦後統計では、朝鮮戦争中も穀物の総作付面積が増大している点を疑問視。《戦闘で国土が破壊された一方、労働力・資材の不足が極限にたっした中で、作付増大が生じたのは不自然》と述べ、1945年に0・26トンだった1人当たり食糧生産量が、1957年に0・45トンに急増したという数値についても《政府が過大に作り上げたプロパガンダの一種》と結論づける。
さらに『入門 朝鮮の歴史』にある「強制連行と徴兵」についての記述は以下の通りだ。
《朝鮮各地から強制的に狩り集められた若い女性たちが遠くはビルマ戦線から中国大陸、南洋諸島などに送り込まれ、日本兵士を『慰安』する肉体提供者として利用された。日本軍と行動をともにした彼女たちは戦死、病死、自殺に追いこまれ、生きて帰った人はまれであったといわれる。その数は確認できないまま今日にいたっているが、十数万人にのぼったといわれている》
今現在、韓国で信じられている“従軍慰安婦”の内容とほぼ同じ。強制の根拠となる事実や数字の裏付けがないまま一方的につづられている。
朝鮮史研究会は、かつて日本の朝鮮史研究者をほぼ網羅し、現在も数百人の会員がいるとされる。隣国の理解のためには、まず、研究者による歴史の実証研究が求められている。
写真:朝鮮半島の近現代史を扱う書籍は多いが、データに基づく『北朝鮮経済史 1910-60』(下)は貴重な存在
http://www.sankei.com/premium/…/170106/prm1701060004-n1.html